子供たちの見本

この日の毎日新聞に、野坂昭如さんの連載が載っていました。「子ども手当」というタイトルで、野坂さんの子供時代と、子ども手当法についての感想が書かれているのですが、その最後のほうに、「子供の教育と言うのなら、その基本は大人にある。この当たり前を忘れていないか。毎月の手当もいいが、大人が見本となるべき存在でなければならない。」と書かれていました。

最近、「脱ゆとり」という話をよく聞きますが、学校教育にからめた教育論をあちらこちらで見聞きするたびに、世間で語られている教育論と、僕が家庭教師として日々子供たちと接する事との間にギャップを感じます。小・中学生は幼く無垢であると思ったら大間違いで、子供たちは大人たちの姿を鏡のように映しています。大人たちによる「学校は何をやってるんだ」「教師はもっとしっかりしろ」といった態度はそっくりそのまま子供にも伝染して、「学校は何をやってるんだ」「教師はもっとしっかりしろ」と思いながら学校に通う小・中学生を生みます。そんな彼らの成績が悪いことは言うに及びません。

とかく、日本社会はさまざまな事に対してガマンの効かない社会になったのではないかと思います。熊沢先生がおっしゃるところの「鷹揚さを欠く」社会になったと思います。

野坂昭如さんと言えば『火垂るの墓』が有名ですが、この方の作品で忘れられないものの一つに『ダニアースの唄』があります。野坂さんは子供たちにとって、「人間には多面性がある」という事の見本でしょうか(笑)。この作品が発表されてから早 10 年が経ちましたが、「茶髪にブスリ!」「死んだ!」なんていう歌詞、いまどき CM ソングには出せませんよね、ホントに。