先生

ジャズ・カフェ・ミンガスにて、先生の誕生日パーティー。この数時間後に誕生日を迎えられました
ジャズ・カフェ・ミンガスにて、先生のお誕生日パーティー。この数時間後に誕生日を迎えられました

人が後悔するときというのは、過去の自分の未熟さに気づいたときで、それは多かれ少なかれ自身が成長したことの証でもあります。「後悔しないようにしろ」というのは「自分の未熟さに気づけ」という意味だし、「後悔なんかしていない」と言っているうちは、ひょっとすると自分が成長していないだけなのかもしれません。

大学の二年目ぐらいまで、僕はほとんど後悔するなんていうことを知りませんでした。変な自信とプライドばっかりが育っていて、大した知識もないのに偉そうな顔で他人を批判して悦に入っていたのだから、これほど厄介な人間はありません。当時の知り合いで今でも僕と付き合ってくれる人がいるのが、信じられません。

それが突然後悔の雨あられにさらされるようになったのは、大学 2 年生の時に T 先生と巡り合ってからでした。東京大学の大学院を卒業した先生はまだ若かったのですが、たいていのことには冷静で、いつも論理的に物事を考え、それでいて他人に対する優しさや思いやりを忘れない立派な方でした。かとおもえば授業を休んでその受講生全員と花見に行ったり、ユニフォームを着てビール片手に阪神タイガースを応援したりする一面も持っている方でした。たまたまそんな先生のゼミ生になって、立派な大人とはかくあるべきなのだなと思い初めて以来、僕の生まれて初めての種類の「後悔」が始まったわけです。

先生が僕に「後悔」をさせるとき、それは面と向かって僕を批判するようなやりかたではなくて、いうなれば知性が伝灯してゆくというか、授業の場にいるだけで勝手に「後悔」が募ってゆくような毎日でした。今まさに人生のあらゆることに悔いを感じて、同じ過ちを繰り返さないよう自省できるようになったのは、先生のおかげです。

間もなく僕も、初めてお会いした時の先生と同じ年齢になります。少しでも当時の先生のようになれるよう努力しているのですが、さっぱり間に合うような気がしません。そして今日、不惑を迎えられる先生の誕生日パーティーに、各地に散らばったゼミの卒業生が多数集まっている様子を見て、先生がさらに高いハードルの向こう側にいることを痛感しました。

幸い家が近く、今でもお会いする機会があります。先生がいらっしゃる限り僕の「後悔」が終わることはないでしょうけれども、それは僕にとって大変な幸せです。願わくはながくご健康に留意され、とりわけ先生の肝臓が「フォアグラ状態」を脱されますように。


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