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エッセイ

日立のおばあちゃん①

僕の母方の祖母は、僕が中学三年生の頃に亡くなりました。

母の実家は、長い坂道を登りきったところに建っていました。家の南西側にある駐車場と母屋との高低差は 10m 近くあり、車を降りたあと長い階段を登らねばなりませんでした。玄関は東側にあるのですが、駐車場から遠いので、僕たちは母屋の南側にある縁側から出入りしていましたし、祖母の家族もみなそのようにしていたようでした。

雨よけと下駄箱が用意されて、玄関さながらになっているその縁側から家に上がり、四畳ほどの小部屋を抜けると、その奥に六畳の和室がありました。祖母はいつもその部屋にある掘りごたつに座って、僕たちを出迎えてくれました。

僕の祖母には脚が一本ありませんでした。僕が生まれた頃、祖母が路線バスに乗ろうとしたところ、運転手さんが私の祖母に気づかずドアを閉めてしまい、バスの外に投げ出されたところでそのバスが発進し、祖母の脚を轢きつぶしてしまったそうです。

その運転手さんがその後どうなったのか、僕はよく覚えていませんが、祖母は警察からの事情聴取に応じた際に、運転手さんの事を赦すと伝えたのだそうです。祖母はそういう人でした。

つづくでしょう。

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エッセイ

人生のような音楽、音楽のような人生①

タイトルに「①」なんて付いているからには、この話は何度かに分けて続くのかもしれません。とにかく、思うままに(生存のご報告も兼ねて)、毎日数分の時間を割いて書いていこうと思いついた次第。

作曲家は何を考えて作曲するのか。人によって考え方は様々であるようです。「頭の中に響いているものを書く」というようなことをおっしゃっていたのは菅野よう子さんだったかと思います(たしか、『編曲の本』という A3 版のどでかい本の中で)。それで曲が書ければ、作曲生活はどれほど幸せでしょう。残念ながら、僕はそのような才能に恵まれてはおりません。

美術家の事をどれほどうらやましいと思ったかわかりません。美術家には作曲家との決定的な違いがあります。それは「作品が、なければならない」ということ。わかりにくい話ですね。つまり、絵画にしろ彫刻にしろ、はたまたミクスチャーだろうが立体だろうが、パフォーマンスアートでさえも、作品が目の前に存在していなければならない、と言うことです。何もない空間の前に「無」とかいうタイトルプレートだけ付けて展示しておく、なんていう超前衛的な活動をしている美術家も探せばいそうですが、僕はいまだにそういうものに出くわしたことがありません。

美術と異なる作曲の大きな悲劇は、「何もない」ということが許されることです。ジョン・ケージの例は極端ですが、数十秒にわたって無音で構わなかったり、構成や成形のために最低限必要だと思われるものさえ省略してしまって構わなかったり。今ここに、一人の作曲家と一人の美術家がいたとします。目の前の空間に、美術家はどんなに不安定であっても、どんなに小さくても、またはどんなに臭かったり、まぶしかったりしても、何かを存在させようとするところから活動がスタートするという点に迷いはありません。ところが作曲家は、何もないことにするか、何かあることにするか、そこから迷い始めなければならないのです。