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日記

喉元過ぎても熱さ忘れずに

福島県立美術館の入口前の広場から庭を撮影
福島県立美術館の入口前の広場から庭を撮影

福島市中心部には、「市内循環ももりんバス」という 100 円で乗れるバスが環状に走っています。僕は「県立美術館入口」という停留所のすぐ近くに住んでいるので、頻繁に利用しています。今日も福島駅のすぐ近くに行く用事があったので、バス停で市内循環 1 コースのバスを待ちました。

県立美術館入り口から市内循環 1 コースのバスに乗ると、福島駅までの停留所は残り 2 つだけです。このコースの停留所は全部で 15 個なので、環状コース終盤の停留所にあたります。やはりバスですから、当然遅れてやってくる…かと思いきや、案外時間どおりにやってくることが多いので驚きます。

とはいっても、10~20 分程度延着することもあります。急いでいるときには本当に困ってしまいますし、今日もおかげで約束の時間に遅刻してしまいました。そんな延着したバスの運転手さんは、きまって特定の「のろい運転手」さんであることがわかってきました。

ところがその方々の運転を見ていますと、制限速度を破りませんし、減速も早めに済ませています。バスのタコメーターには騒音や排気ガスに配慮しているのであろうグリーンゾーンが設定されていますが、なるべくその回転数内で走るように努めていらっしゃることもわかります。

つまり実に模範的な運転をなさっていらっしゃる、公共交通のかがみのような方々だったのです。これなら立ち乗りを強いられる時も、安心して立っていられます。本当の問題はむしろ、相対的に飛ばし気味な運転手さんか、飛ばすことを強いてしまう時刻設定か、そのあたりなのでしょう。

JR 福知山線の事故は、過密なダイヤを組む JR 西日本の企業体質が間接的な原因として指摘されました。しかし急かして事故にあって死んでしまうくらいなら、ちょっとぐらい延着したっていいじゃないですか。発着時刻がのんびりしていたって、それでいいじゃないですか。

喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということわざがあります。僕みたいな路線のエンドユーザーが、いつまでも事故の教訓を忘れずに、率先してゆとりある運転をたのみ続けなければならないのだなあ、なんてことを考えた日でした。

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感想

大岩オスカール:夢みる世界

「大岩オスカール:夢みる世界」のリーフレット
「大岩オスカール:夢みる世界」のリーフレット

福島県立美術館で開催されている企画展、『大岩オスカール:夢見る世界』に行ってきました。大岩オスカールさんは 1965 年生まれのブラジル移民 2 世で、1991 年からは日本に、2001 年からはニューヨークに暮らしている、現役の美術家です。

展示室に入ると、十数メートルはあろう巨大なクジラの骨と、潜水艦の作品からはじまりました。やっぱり現代の美術家というのは、いい意味で型にはまっていなくて、ドキドキします。タイトルはどちらも『クジラ』。ただものではないな、と思わさせられます。

全体的に小さな作品はほとんどなく、タテ・ヨコ 2 メートルを超えるような大きな作品がほとんど。これを北千住の、ご本人いわく「6 畳ない」部屋でよくぞ描いたものだとまずは感心してしまいます。これだけ大きなキャンバスの中に、携帯電話ぐらいのサイズの遊び心あふれるモノがたくさんちりばめられていたりして、私のような素人には宝探しをするような感覚で絵を楽しむこともできました。

絵の表現方法として、人工の構造物の崩壊という題材が目立ちました。本質的な題材は例えば温暖化だったり、現代社会に対する批判とか揶揄とかいったものなのだと思いますが、そういった人類の築きあげたものを鉄骨などの構造物にたとえて描き、それが派手に破壊されるのではなく、自重に耐えきれなくなって無残に崩壊するとか、ゆがんでゆくとか。そういう表現が目立ちました。

僕にとって何よりも印象的だったのは、ちょっと失礼かもしれないけれども、実は休憩室で上映されていたご本人のインタビュー。現代の美術家を「水をたっぷり入れて薄めたスープ」のような作品を作ってしまいがち、と評価していました。ちょっと辛辣。

「自分の仕事は、地味なことをコツコツやりつづけることだけ」というような事をおっしゃっていたことには感銘を受けました。僕の音楽が今後どうなっていくかわかりませんが、僕も自分にできることを今後もコツコツと積み上げていこう、と決心を新たにしました。

展示は 9 月 28 日(日曜日)まで開催されています。