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日記

日立のおばあちゃん②

祖母は苦労の多い人生を歩んだ人でした。祖母は香川県の生まれで、旧姓による名前を多田利子と言いました。大正の生まれではありましたが、女学校に通っていたようで、当時としては裕福な家庭に育ったようでした。

対する祖父は、非常に家計の苦しい家庭に育ったようです。授業料がかからないという理由で師範学校(現在の教育大学)に進み、京城(現在の韓国・ソウル)で教鞭をとっていたようです。しかし、すでに日米が開戦していた当時、祖母の実家の両親は、戦地に駆りだされることのない教師のもとに嫁がせたいと願ったようです。

祖父の実家と祖母の実家にどんな接点があったのかまったくわかりませんが、かくてまだ十代だった祖母は、かなりの「格差婚」の末に朝鮮半島に渡り、教員の宿舎で生活することになったようです。生前の祖母は、たまに朝鮮人に対する複雑な感情を垣間見せる言動をとることがありましたが、僕が小学生の頃、韓国に住む韓国人の友人から日本語の年賀はがき(か何か)が届いて喜んでいた姿もまた覚えています。あの時代、日本人と朝鮮人の関係というものは、実際どうなっていたのでしょうね。

つづくでしょう。

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